平和は努力して守る!

2015年8月15日 09時53分 | カテゴリー: 活動報告

平和のための戦争展@中央公民館。(撮影日2015年8月2日)

 今日は8月15日、敗戦から70年目の日です。小平では、毎年8月には市民グループが「平和のための戦争展」を中央公民館で開催しています。市内(当時の小川村)でどのような出来事があったのか、地図や絵での詳細な説明を見ると「生活と隣り合わせであった戦争」のリアリティを感じます。また、8月9日には女性団体が毎年行っている平和学習会で、戦争体験者と20代の若い世代によるトークもあり、過去が今にどうつながっているか、を考える良い機会になりました。

山口県岩国市。岩国空港は米軍基地の中に間借りしている。

 折しも7月には岩国を訪れる機会があり、基地が町の中にある光景を目の当たりにして、まさに生活のなかでの戦争と平和ということを考えずにはいられませんでした。沖縄も、そして東京では横田基地も、暮らしの場の隣り、否暮らしの場の「中」に戦争につながる場があるのだと感じました。
 反戦を口にすると「感傷的で現実的でない」と言われるかもしれません。でも、私にとっては戦争を遠ざけようとする気持ちは「現実」を想像することの裏返しです。兵器により血が流れ肉体が引き裂かれる苦痛、爆弾や銃口から逃げ惑う究極の恐怖や食糧や物資の不足からくる強烈な飢餓感、そしてこのような状況下での人間関係……さまざまな悲しみと隣り合わせの生活がどのようなものであるか、多くの証言や写真とともに圧倒的なリアリティをもって私は想像します。そして、今の世界状況を見て平和は「戦争の道を選ばない意識」がつくりあげていると感じるのです。

 昨日、安倍首相は戦後70年の談話を発表しましたが、いっぽうで安保関連法案を推しすすめており、軍備による平和構築という欺瞞としか思えない言説を撒き散らかし、武力拡大を実体化しています。
 「攻めてきたら…」の仮定を立てることは平和構築の外交努力をしていないことの裏返しに思えます。また、国民生活への危機とはどのようなものか? 自分たちの生活を守るために他国民の犠牲を想定することが本当に平和なのか? 言葉で説明ができないものを生活の中に持ち込んでほしくはありません。
 超高齢社会を迎え社会保障費をいかに抑えるかの政策がさまざまにとられています。いっぽうで、防衛費も5兆円に近付く勢いです。国民の生活を守るのが国であって、国を守るのが国民ではないはずです。今日この日を迎え、平和と反戦の誓いを新たにしています。