子どもたちの代弁者として

2011年8月30日 09時42分 | カテゴリー: 子ども・教育, 活動報告

 ここのところ、ホームページやツイッターには原発や放射能汚染のことを書くことが多くなっています。もちろん、日々の活動はそれ以外のことも関わっていますが、原発事故の問題は福島だけでなく私たちの暮らしそのものと未来に関わる大きなことだと思います。
 ということで、8月の活動の大まかな報告も同様な感じになります。1日には生活者ネットの多摩北エリア13自治体の市議会議員が集まる会議で放射線測定や給食についての議会・市民・市としての動きなど情報と意見交換。
 ニュース完成に伴い7月下旬から3回・3ヶ所で議会報告を行い、6日は中央公園での灯りまつり実行委員として本部の手伝い(去年に引き続きポップコーン売りを、今年は嘉悦大学の学生さんとしました!)をして、翌7日早朝には福島の子ども達を清里の市の保養施設・八ヶ岳山荘に招くプロジェクトに参加しバスで福島まで子ども達を迎えに行きました。
 お友達やきょうだいでの参加が多かったものの、お互い初めての顔ぶれだった小学生たちは最初のおとなしさはどこへやら、3泊4日のあいだあっという間に仲良くなり久しぶりの外遊びに大はしゃぎでした。私も小学生の群れ(?)に久々に混じり、大変だったけど楽しい時間を過ごしました(写真左下)。子ども達の保養や避難は、家族との生活やこれからの人生に関わる重大な問題です。屈託のない笑顔のなかでほんのたまに一瞬出る言葉に、東京にいる私たちがすべきことのヒントが見えました。けがや大きなトラブルもなく再びバスで送り届けたとき、何人もの保護者の方が日焼けをしたことを喜んでいました。
 その後は、13日に東京・生活者ネットワーク女性部会主催で被災地と東京の避難所に支援に入ったボランティアスタッフと弁護士を招いての学習会を開き、女性の視点での支援体制整備の必要性をあらためて確認しました。1週間ほど帰省。携帯・パソコンと遠隔でも仕事する環境が整っているおかげ(?)で、機関紙の記事執筆や議会準備のためのやりとりなどもありましたが、新盆を迎えた祖母のお墓参りもできました(親孝行はできず)。
 小平に戻りすぐ市民の方と会ったり常任委員会が始まったりの日々となり、25日は子ども・子育て新システムを絡めて子どもや子育て世代の置かれている状況の学習会。そして27日は核・原子力のない未来をめざす市民集会実行委員会主催のシンポジウム「3.11原発震災以降を私たちはどう生きるか」に参加。この会は震災以前からあり、シンポは原子力資料情報室と東京・生活者ネットワークが協賛。会場は浅草の東京都立産業貿易センター。小出裕章、中手聖一、田中三彦氏の講演と報告はテレビなどマスコミが報じない事実もあり、現場を知る一助に(写真右下は小出さん)。終了4時半で浅草ということで帰りは同日開催の隅田川の花火大会を見て鋭気を養って帰りました。
 翌日は、小平・生活者ネットワーク主催で「放射能について正しく学び考えよう〜くらしと子ども達を守るために」を開催(写真上)。講師であるNPO法人市民科学研究室の上田昌文さんは、放射性物質の性質を正しく理解したうえで、現状からめざすべき理想と実現可能な対策を示唆。その市民科学という姿勢は私は以前から大好きで小平ネットは研究室の会員でした。この日のお話もいま私たちが置かれている状況が非常に厳しいものであるという認識を持ちながら、国に求めることと市民レベル、自治体レベルでできることを整理しルール化する筋道を示してもらえました。漠然と大変さを抱えるより元気が出る話でした。
 その後は原発にさよならを小平の会のミーティング、こども劇場のルネフェスティバルでケストナーの「飛ぶ教室」のお芝居で見た後、大急ぎで鷹の台商店街の夜店に。片付け始めている時間でちょっと間に合わなかったけど余韻だけ味わうことができました。
 ともかくいま思うのは子どもには自分で政策的な声をあげる場も決定に関わる機会もないのだから、代弁者としてがんばらねば! ということ。それは「大人や高齢者のことは二の次」という逆のことには決してならないはずと思っています。