被災地、石巻へ

2011年7月10日 22時36分 | カテゴリー: 活動報告, 環境・まちづくり・行政

●小平発の被災地支援
 7月4日〜6日にかけて宮城県石巻市にボランティアに行ってきました。小平でできた被災地支援のボランティアグループが募集したツアーに参加する形です。いま、東京都がボランティア派遣を行っているほか、旅行会社などもツアー募集を行っていますが、ルネこだいら前集合で都心まで足を運ぶ必要がなく、また午後6時半出発ということで日中の仕事を終えての参加ができるということで、小平の市民の力が被災地に出向く大きな足がかりとなりました。4日の午後6時半にルネこだいら前集合、5日朝に石巻市について1日ボランティア作業、翌日6日には帰路に着くというものです。
 石巻市は水産物の流失と痛ましい話ですがご遺体が残るため、まちにはにおいとハエの発生があると聞いていました。しかし、3か月経ち片付けが進んだためか行った場所はそれほどではありませんでした。作業は海岸からはやや入った北上川沿いの集落で、人が住めない状態になった駐在所の庭の草取りと汚泥撤去でした。東京と違って広い庭でこれまで手付かずでいたので、草が50cm以上も生い茂っていましたが、外回りが終われば室内は警察でやるとのこと。参加者のうち避難所でのコーヒーサービスのチームをのぞいた28人ほどが一気に作業したことで、1日にきれいになりました。草とヘドロを入れた土嚢はざっと見ても500個以上(写真下)。こういう作業はまさに人海戦術こそ力を発揮します。
 私でも役に立つかなと思って参加を躊躇した面もありますが、草取りや土嚢を入れる役など、運び役になってくれる若い人も混じっていれば40代もそれなり役立ちました。暑い日でしたが、午前中は雨が降り濡れての作業だったことが功を奏し、体力の消耗は何とか乗り越えられました。
●被害の重さを実感、生活再建のための希望を
 しかし、それは1日のことだったからこそ。これが延々と続くことの大変さは想像するまでもないものです。作業をした集落は見た目には家屋の損壊などはひどくはありませんでしたが、駐在所も中は玄関から泥が乾いて固まった状態で、これを住めるように掃除し片付けるのは重労働だと思います。多くの人が、日々の生活を取り戻すためにいまもそうやって被害と静かに闘っているのです。
 車窓からは被害が甚大だった地区の光景も目の当たりにしました(写真上)。土台からなくなった家の跡、骨組みだけが残った建物、大きな山となって積まれた瓦礫……1週間ほど前には水田の泥の中からご遺体が見つかり、作業をした一見もとの生活に戻ったかのように見える集落でも今も100人近い方が行方不明だそうです。
 石巻に限らず東北では「がんばろう日本」の旗はあまり見ませんでした。「がんばろう石巻」「がんばろう福島」と地元の地名を入れたものはたくさんありました。自ら吐くその言葉には重いものを感じます。帰り道の昼食のとき、「おれたち家もなんも流されたけど、ボランティアに来てくれる人いて助かるよ。」と声をかけてくれた同世代の男性たちがいました。その一言のうしろにこの3か月のどれほどの痛みがあったかと思います。避難して津波は見ていないという現地の女性の方の「津波を見た人は亡くなった人なんです」という言葉も胸に残ります。
復興というよりも生活再建。それぞれの暮らしをどう新たにつくっていくか、被災地の人がそういう気持ちになれるような応援が必要です。今後ますます、生活のニーズに応じたきめ細かな支援が求められると思いました。東京都では避難所を閉じ、都民ボランティア派遣も近いうちにやめる方針と聞きました。しかし、財政力の豊かな東京だからこそできることはいろいろあるのではないでしょうか。小平を含め市民レベルでは、いろいろな人がいろいろなスタイルで応援を形にしています。
 帰り道は、途中のパーキングエリアで降ろしていただき、福島市へ。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表にお会いして帰ってきました。