希望は戦争?

2008年5月12日 19時27分 | カテゴリー: はたらく

 新聞の記事で30代の若者が書いた、ある論文を知りショックを受けました。論文のサブタイトルは「31歳フリーター。希望は、戦争。」この論文は朝日新聞が発行する『論座』という月刊誌に昨年掲載されたものです。
 執筆者はコンビニで働く赤木智弘さん。就職氷河期で職に就けず1,2年のつもりで始めたフリーター生活が10年以上になります。実家で暮らしていて、父親が働けなくなれば生活の保障はないと覚悟しています。派遣やパート・アルバイトなどの非正規は拡大し、いったんフリーターになってしまったら正規雇用への道は閉ざされているのが現状なのです。企業が採用する気がないからです。
 そんななかで、筆者は戦争が起きてたくさんの人が死ねば日本は流動化し、格差が固定化されている若者にとってチャンスになると言うのです。赤木さんの説はもちろんとんでもないし、明らかに間違っていると思います。
 しかし、赤木さんの感じているような若者の閉塞感全体に対して、「自分の努力が足りないからだろう」と一笑して切り捨てることもできない気がするのです。なぜなら、労働市場のパイはあらかじめ決まっておりどんなに努力してもそこから零れ落ちる人は必ず出るからです。(それでも戦争肯定は大間違いですが)。
 フリーターが増えるいっぽうで、毎日夜中まで働き疲れをためている正規雇用の若者もいます。私の周りでもそういう話はいっぱい聞きます。あるいは大学院を出ても職がなく、そのままフリーターを続けている人もいます。私たちが望むのは、こんな格差社会でしょうか? 人を育てる発想のない社会に明るい未来はない。こんな現状の中で、逆説的な提起とはいえ、戦争待望論がいまの若者の“気分”なら、とても危険です。(そもそも31歳という年齢を若者と括ってよいのかは微妙ですが)。
 この記事を読んでオウム事件を思い出しました。落ち込んでいる場合ではないと思い、以前読んだ宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』と伊東乾『さよなら、サイレント・ブルー』を本棚から取り出してパラパラめくっています。目の前の現実から目をそらさないこと、そして感情にだけ流されないこと。とてもしんどいですが、この二つは忘れずに。そして、小さな声でもおかしいことはおかしいと表明していくこと。誰も声を上げず、何も抗わず、みなが黙ったまま大きな“気分”をつくり上げていくような間違いを、この国は二度と犯してはいけないはずです。