「六ヶ所村ラプソディー」

2007年11月12日 15時20分 | カテゴリー: 環境・まちづくり・行政

 小さな角砂糖ほどの大きさで、2000万の人を殺せる物質があります。プルトニウムです。 プルトニウムは原子力発電の使用済み燃料から取り出される放射性物質。日本にある54基の原子力発電所から生み出される使用済み核燃料から、プルトニウムを取り出す予定なのが青森県六ヶ所村にある再処理工場です。

 10月26日、多摩きた生活クラブが企画した「六ヶ所村ラプソディー」の上映会に出かけました(国分寺Lホール)。このドキュメンタリー映画を見るのは2度目。以前「国分寺で映画を見る会」主催の上映会で見たときには、鎌仲ひとみ監督のトークショーもありました。
 映画には声高な主張ではなく、反対派の人も賛成派の人も登場し静かな語り口で再処理工場への思いを話すと同時に、それぞれの生活・生き様が映し出されていました。花畑や田んぼなど映像の美しさと、雪と海の厳しさを連想させる津軽三味線の音楽が本州の北の果ての地の特徴を伝えてきます。
 淡々とつなぐナレーションが印象に残る静かな映画ですが、見終わったとき、私たちが選択してしまっている、いのちと引き換えのエネルギー政策に対しての強いメッセージががんと押し寄せました。その力強さは2回見ても衰えませんでした。
 大都会・東京に住む私たちは膨大な電気を使っています。限りある資源である石油を使わず、Co2も排出しない原子力なしでは都会で必要な電力は賄いきれない……そういう言い方で原発はどんどんつくられてきました。そして、その廃棄物を地方に運んでいく。そんなやり方を私たちは知らない間に選んでしまっている——そのことをずしりと気づかされる映画です。
 六ヶ所村では、放射能が大気や海に流れ出る可能性を否定しきれないいっぽうで、再処理工場ができることでの国の交付金や、施設の建設を含め関連産業がなければ経済的に立ち行かない状況があります。

 こうやっていま私が向かっているパソコンに流れる電気も、何割かは原発でつくられた電力なのでしょう。矛盾もあるかもしれないけど、それでもなお「へんだな、これでいいのかな」と考えはじめることこそ、出発点だと思いたい。
 映画の中で、一人の女性が「中立っていうのはいい言葉だけど、何も言わない、何も行動しない、ただ見てるだけってのは賛成と同じなんだよ」と言うのがとても印象に残っています。
 
 前回見たときのトークショーで、映画と同じように静かだからこそ強いメッセージを放っていた鎌仲さんが、パンフレットにこう書いています。
——偏りなく現実を、そこに矛盾があってもそのままに映し出す映画。
単純な二律対立の構図ではなく混沌とした複雑な現実や賛成と反対のあわいで揺れる村人の思いやありようの多様さこそを描こうと試みた。——

 政治では矛盾のない提案、あるいは矛盾の追及が求められます。だからこそ、矛盾を矛盾のまま描くことができる表現行為である映画や文学や美術のパワーをときどき浴びよう! 映画のあと残って話した人たちとそう確かめ合いながら家路に着きました。